いけむランド

はてダからやってきました

ウィンドウマネージャオタが非オタの彼女にウィンドウマネージャ世界を軽く紹介するための 10 パッケージ

当然ながらネタ。


まあ、どのくらいの数のウィンドウマネージャオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないウィンドウマネージャの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女にウィンドウマネージャのことを紹介するために使わせるべき 10 パッケージを選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にウィンドウマネージャを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う tarball 配布のみ (しかも GNU Autotools 未使用) のウィンドウマネージャは避けたい。
できれば rpm、ソース配布でも ports にとどめたい。
あと、いくらウィンドウマネージャ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。

彼女の設定は

ウィンドウマネージャ知識はいわゆる「ディストリビューション標準」的なものを除けば、メニューから選択できる程度は使っている。
CUI リテラシーも低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

Enlightenment

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「GUI」を濃縮しきっていて、「統合デスクトップ環境」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。プロジェクトの長さも 10 年以上だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この装飾過多なウィンドウマネージャについて、どれだけさらりと嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということはオタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。

qvwm, mlvwm

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなウィンドウマネージャ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

「ウィンドウマネージャオタとしてはこの二つは "他の OS のような使いやすさ" としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

Compiz Fusiom

ある種のウィンドウマネージャオタが持ってる 3D への憧憬と、グラフィックカードの活用へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも Novell 的な

  • とりあえずな立体感を体現する Cube
  • とりあえずな奥行きを体現する Switcher

の 2 つをはじめとして、オタ好きのするプラグインを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

Avant Window Navigator

たぶんこれを見た彼女は「Mac だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜のウィンドウマネージャがその後続いていないこと、これが Ubuntu では大人気になったこと、Ubuntu なら Apple 公認になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内であんまりウィンドウマネージャがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

Window Maker

「やっぱりウィンドウマネージャは NeXT のインタフェースを再現するためのものだよね」という話になった時にそこで選ぶのは「AfterStep」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのはこの作品にかける Alfredo Kojima の思いが好きだから。

断腸の思いで上げに上げてそれでも 0.92.0 っていうバージョンが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「メジャーバージョン変更」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

Window Maker がずっとバージョン 0.x なことを俺自身は冗長とは思わないし、もう上げれないだろうとは思うけれど、一方でこれが Sasha Vasko や Carsten Haitzler だったらきっちり 1.0 にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて 0.x を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の書いてきたコードを捨てられないオタク」としては、たとえ Alfredo Kojima がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。
cygwin にも公式に移植されているということと合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

Twm

今の若年層で Twm 見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

統合デスクトップ環境が標準となるよりも前の段階で、カスタマイズの哲学とか動作の軽快さの技法とかはこのウィンドウマネージャで頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティのウィンドウマネージャが X11 標準でこの時代に開発されていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくウィンドウマネージャ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる統合デスクトップ環境でしかディストリビューションを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

Sawfish

「装飾過多だけがウィンドウマネージャじゃないこと」あるいは「設定ファイルは Lisp で書くこと」をオタとして教えたい、というお節介焼きから使わせる、ということではなくて。
Lisp は別格」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ GNOME の初期に採用されていたウィンドウマネージャは Sawfish 以外ではあり得なかったとも思う。

「設定ファイルもプログラミング言語ベースだろ」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は Sawfish にあったんじゃないか、というそんな理屈はかけらも口にせずに単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

Project Looking Glass

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうバイトコードJIT でネイティブコード並みの速度にして、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

Metacity

9 パッケージまではあっさり決まったんだけど 10 パッケージ目は空白でもいいかななどと思いつつ、便宜的に Metacity を選んだ。

Enlightenment から始まって Metacity で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、GNOME 2 以降の統合デスクトップ環境時代の先駆けとなったウィンドウマネージャでもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいいウィンドウマネージャがありそうな気もする。


というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい 10 パッケージ目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。

「駄目だ fd0 は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。